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「お酒を飲まないと決めた、いつか人を殺してしまうかもしれない」元TOKIO山口達也さん”依存症教育アドバイザー”として体験を語る

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1 :2023/10/22(日) 21:10:37.92 ID:u7LcQNW+9.net

https://news.yahoo.co.jp/articles/68c85132b2d15a2311dd64e6645b59b546475557

 人気アイドルグループ「TOKIO」の元メンバー、山口達也さん(51)。
アルコール依存症で苦しんだ体験をもとに、飲酒をめぐる問題に苦しむ人たちをサポートする活動をしています。
未成年者への強制わいせつ事件、酒気帯び運転によるバイク事故。
こうした不祥事の後に「初めて誰かに助けを求める気持ちになった」と専門病院で治療を受け、現在も断酒を続けているといいます。
14日、北海道北見市で依存症教育アドバイザーとして講演し、自身の体験を語りました。

■人生を豊かにするもの、それが酒だと思っていた
1994年に「TOKIO」のメンバーとしてデビューした山口達也さん。20代のころは、酒が強いほうがかっこいいと思っていたといいます。
そして酒を通じて先輩や仕事の仲間とたくさん会って、次の仕事につなげたいとの思いもあり、積極的に飲み会に参加していました。
「とにかく人生を豊かにするもの、それがお酒だと思っていました。自分の中心にお酒がありました。酒を飲めないなんて人生の半分を損しているとか言って」
そのころ、世界で一番嫌いな言葉は「ラストオーダー」だったとか。閉店前の1時間に焼酎のロックを5杯飲んで帰宅。
そんな調子で、楽しく騒ぐために飲んでいたといいます。

■当時を振り返れば”ワーカホリック”(仕事中毒)だった
TOKIOには山口さんのほかに、メンバーが4人いました。音楽活動のほか、番組のロケなどで常に全国を飛び回り、多忙を極めていました。
山口さんは、当時の活動について、ワーカホリック=仕事中毒になっていたと振り返ります。
「なんでだろう、結構ワーカホリックみたいになっていて、ほかの人に仕事を渡せないというか、自分がやらなきゃとか、
メンバーで分担することもできるんだけど、私はできなくなっていて…そのころからお酒の飲み方が変わってきていました。
でもお酒が増えてきたこと、心の病気にかかっていたってことに、全然気づいていなくて」
ワーカホリックとは、自分の健康や趣味よりも、仕事を一番に優先し、常に動いていないと気が済まない状態のことを指します。

■気を失うまで”ブラックアウト”をしないと1日が終わらない
その後、山口さんは、仕事の緊張感やストレスで、睡眠障害を患います。
「あすも仕事だし早く寝たいな、でも寝られずにまた酒を飲んで、気を失うまで飲む。そういうふうにブラックアウトしないと1日が終わらないんですよね」
1人で自宅で深酒をするようになった山口さんは、眠るために酒を利用するという飲み方に変わっていきました。

「病院で処方された精神安定剤や睡眠薬を飲んでも眠れずに、お酒で薬を流し込む日々が始まりました。ブラックアウトをしないと次の日を迎えられない」
このころから次第に、自分の意思で酒をやめることができなくなっていったといいます。
そして自分を傷つけるように酒を飲み、周囲にも迷惑をかけるようになっていきました。

■不祥事を経て体験した”底つき体験”
「酔うために使用する、味なんてどうでもいい、もうお酒の味なんてどうでもよくなっていた」
2018年の未成年者への強制わいせつ事件。そして芸能界を離れた後、2020年の酒気帯び運転でのバイク追突事故。
「お酒の酔いとかが全部まひさせて、私はハンドルを握っていることを覚えていないんですよね。そこで初めて、底つきという体験をしました」
”底つき体験”とは、逆境に直面し、現実を受け入れ始める体験といわれています。
「私の場合は、もう自分の力ではどうすることもできなくなった。助けてくださいと手を挙げたんです」

バイク事故の後、初めて誰かに助けを求める気持ちになったと明かしました。
この時、山口さんは48歳。飲み方がおかしくなったのは36歳ぐらいということで、10年ぐらいは、自分でも気づかずに苦しんでいたことになります。
そこで断酒を決意し、2020年11月に依存症の専門病院に入院し、3か月ほどの治療プログラムを受けて退院しました。

※続きはソースで