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衝撃の死から8年…「ZARD」坂井泉水の語られなかった40年

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1:砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2015/05/27(水) 07:35:47.92 ID:???*.net

1990年代の音楽界を席巻した「ZARD」のボーカル、坂井泉水さんが2007年5月27日、40年の短い生涯を閉じて、はや8年の歳月が流れた。
昨年末、小田急線・渋沢駅(神奈川県秦野市)では、同市とゆかりがある坂井さんを偲び、「駅メロ」にZARDの曲が使われるなど、死後もその功績が薄らぐことはない。
「負けないで」や「揺れる想い」などのミリオンセラーを連発した華々しい功績とは裏腹に、メディアの露出が極端に少なかった“歌姫”。
その知られざる素顔を改めて振り返ってみよう。
謎に包まれた歌姫の生涯は、最後の最後までミステリアスだった。
「坂井泉水さんの転落死のニュースは、所属事務所の発表を受けてテレビ局が臨時テロップで流した。
ただ、確認できた彼女の年齢は二つあり、捜査員は年齢を確認するだけでも混乱したんです」(当時の捜査関係者)
坂井さんは1967年2月、神奈川県平塚市で生まれている。
彼女のプロフィルは公表されることはなかったが、「ZARD」としてデビューする前、彼女は本名の蒲池幸子として、タレント活動をしていた。
当時のプロフィルは「1969年2月生まれ」だった。
ミステリアスなのは、これだけではない。
坂井さんは2007年5月26日午前5時42分ごろ、東京・信濃町の慶応義塾大学病院の非常階段付近で大量の血を流して倒れているところを発見された。
スロープ状になっている高さ約3メートルの地点から転落して後頭部を強打したとみられ、
発見後、救急病棟に運ばれたが、翌27日の午後3時すぎに脳挫傷のために死亡した。
警視庁四谷署では当時、事故と自殺の両面で捜査していた。
「手すり部分には手の跡が残っていた。腰を掛けていてそのまま後方に転落したとの見方が有力だった」(前出の捜査関係者)
坂井さんは06年6月に子宮頸がんを患い、全摘出手術を受けて回復の兆しを見せていた。
だが、肺への転移が見つかり、07年4月から入退院を繰り返していた。
事故現場の非常階段は、日課としていた散歩のコースだったようだ。
そんな坂井さんのアーティストとしての経歴は、実に華々しい。
93年にはシングル「負けないで」が164万枚を超える大ヒット。その後、「揺れる想い」「マイ フレンド」も100万枚を突破した。
亡くなった07年当時に、CDやDVDの総売り上げは、3600万枚を超えていたという。
だが、テレビ番組に出演したのはわずか数回。
ファンの前に生の姿を見せたのは99年のライブと、04年のライブツアーだけだった。
ファンにさえ、実像をほとんど知られていない坂井さんだが、その短い一生からは音楽への強いこだわりがうかがえる。
●伊藤英明に似た先輩にフラれる
●「美人」と言われテレビが嫌いに

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150527-00000000-sasahi-ent
dot. 5月27日(水)7時4分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150527-00000000-sasahi-ent.view-000
「ZARD ALBUM COLLECTION~20th ANNIVERSARY~