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尾崎 豊は、ただ「ヤンチャ」をしていたのではない 作家・沢木耕太郎が感じた印象とは

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1 :2020/05/21(Thu) 13:11:38 ID:NM4di4Ug9.net

https://news.j-wave.fm/news/2020/05/post-5950.html

2020年05月21日

作家・沢木耕太郎の『沢木耕太郎セッションズ<訊いて、聴く>』シリーズ。現在、『達人、かく語りき』『青春の言葉たち』『陶酔と覚醒』の3冊が刊行され、4冊目となる『星をつなぐために』は6月11日(木)に発売予定だ。
J-WAVEでは同シリーズと連動し、特別番組『J-WAVE SPECIAL SESSIONS〜沢木耕太郎、人を語る。』をオンエア。沢木がこれまでにインタビューやドキュメント取材を行った、高倉 健、美空ひばり、井上陽水、武田鉄矢、草刈民代、檀 一雄、檀ヨソ子、モハメド・アリ、山野井泰史・妙子、尾崎 豊といった著名人のエピソードが語られた。ここでは、尾崎 豊とのエピソードを紹介しよう。

■尾崎 豊の「僕らみんなをなんとかしたい」という欲求
沢木は尾崎 豊との思い出も語った。対談前に尾崎のレコードやCDを全部聴いていると、当時まだ幼稚園児だった沢木の娘が『COOKIE』を鼻歌で歌うようになっていたという。1、2回聴いただけでこんなに小さな子が歌えるようになるということに沢木は驚いた。

沢木:対談の際に尾崎さんにその話をしたら喜んでくれましたね。たとえば僕や井上陽水さんは「僕と恋人」や「僕と誰か」について歌ったり文章を書いたりするけれど、尾崎さんは「僕たち」という話をする。「僕たちみんなが幸せにならなければいけない」という独特な救済を望んでいるような話が出てきて、すごく驚いた記憶があります。この人はひとりでヤンチャなことをしているのではなく、背後に「僕らみんなをなんとかしたい」という欲求を持っているんだと。その気持ちを僕が受け止めたことを尾崎さんもわかってくれたのか、対談が終わったあとに六本木の大きなスナックのような場所に誘われました。そこで僕ひとりのために歌を歌ってくれたんですよ。1曲目が『COOKIE』で合計3曲でした。

■尾崎 豊の死を知って…
その後、コンサートの誘いが尾崎からあったが、沢木は「あのとき以上のコンサートはない」と思い、一度も行くことはなかったのだとか。そんななか、沢木は尾崎の死を知ることとなる。

沢木:仕事でドイツに行った際、帰りの空港で買った新聞に掲載された週刊誌の広告に尾崎さんのお父様が書いた文章のタイトルを見つけて、「あー、亡くなったんだ」と悟りました。父親が文章を書くということは死んだのだろうな、と。「あのときにコンサートの誘いに応じていれば」、「なにか話したいことがあったのかもしれない」、「尾崎 豊が死んだところにこれから僕は帰っていくんだ」と思い、ある種の申し訳なさも感じました。それから尾崎さんの記事を読んだら、尾崎さんの書棚に僕の本が2冊並んでいた写真を見つけました。僕の本を読んでいてくれたのに僕は彼に何もできなかったという思いがありましたね。年を取るということは「彼に/彼女に何もできなかったこと」を思い続けるということなんですよね。

出会いや会話、そして執筆を通して、出会った人に深い敬意を表す沢木。なかなか外に出られない今だからこそ、人と出会う素晴らしさが感じられるオンエアとなった。