最新記事(外部)
お勧め記事(外部)

宗像 内閣参与「スマホの普及で自己中心的な人間が増えた。若者はいい加減にスマホ依存から脱却して活字に戻れ」

スポンサーリンク

1: 2016/01/25(月) 10:01:46.49 ID:CAP_USER*.net

スマホ依存からの脱却を(1月24日)

 ここ数年来気になっていることがある。若者たち、いや、日本人全体が書物や雑誌、新聞など、「活字」を読まなくなってきているのではないかということである。

 数年前まで法科大学院教授として教鞭[きょうべん]を執っていたが、学生らに聞くと、「新聞は取っていない。必要な情報はインターネットで入手できるから」というのだ。
文学書や歴史書などもほとんど読まないという人が大部分だった。つまり、スマホを1台持っていれば、どんなことでも瞬時に調べられるのだという。少し、安易にすぎないだろうか。

 われわれが子供のころは、例えば「野口英世」がどのような人物であったかを知るには、図書館へ行き、人物辞典や伝記などをひもといて克明にノートに写し、知識を獲得していったものだった。
私の場合、父母が教育者であったこともあり、家には各種の本があり、日本や世界の文学全集なども読むことが出来た。
じっくりと読んだ書物は、心に残り、血となり肉となるという実感があった。

 ネット検索での情報収集はわれわれを成長させるに適した知識の習得方法なのだろうか。学生にテーマを与え論文を書かせると皆似たような画一的なものになることが多いとも聞く。
ネットで集める情報は似たり寄ったりだからだろう。自分の頭で考え、理解するという作業が省略されてしまうからなのかもしれない。

 もう一つ付け加えるならば、スマホの普及は日本人のマナーを著しく悪くしているように思う。
「歩きスマホ」の迷惑は言うに及ばず、電車の中でもゲームやメールに没頭し周囲のことなど全く気にかける様子もない。自己中心的な人間が増えている。

 本論に戻ろう。若者たちには、ちまたにあふれる文学書、歴史書、専門分野の研究書など何でも良いから、乱読、多読して該博な知識を身につけてほしい。
今すぐに役に立たないもので良いから幅広く吸収してほしい。身近なことで言えば、いくつかの新聞を毎日くまなく読むだけで世界が開けるのではないかと思う。

 私は、昔から人間社会を豊かに生きるために必要なものは「読書」だと確信している。未知の先人たちとの遭遇が人を育てるのだ。
 蛇足だが、読書について江戸時代の国文学者本居宣長は、この世の中にあるありとあらゆる書物を読み尽くしてから死にたいと和歌に残しているし、
同時代の福井の歌人橘曙覧[たちばなのあけみ]は「たのしみは珍しき書[ふみ]人にかり始め一ひらひろげたる時」と読書の喜びを詠んでいる。

 かくいう私は、最近、古今東西の歴史上の人物の生きざまを描いた本に傾注しており、この正月休みには、「名将言行録を読む」(渡部昇一著)、「中国宰相列伝」(守屋洋著)などを再読した。

 そして、偉業を成し遂げた人物の心の深さ、他者への思いやり、信念の強さ、ぶれない意志などに感動した。
若者は、いい加減にスマホ依存から脱却して活字に戻れと警告しておきたい。(宗像 紀夫、内閣官房参与・弁護士、三春町出身)

http://www.minpo.jp/news/detail/2016012428284